幼いころのパクボゴムは病弱だった?
2011年に映画『ブラインド』でデビューしたパクボゴム。
2014年には『のだめカンタービレ〜ネイルカンタービレ〜』、2015年には『恋のスケッチ〜応答せよ1988〜』に出演し名前を広く知られるようになります。
2016年にはキムユジョンとともに主演を務めたドラマ『雲が描いた月明かり』が大ヒットし、「国民の彼氏」と呼ばれるトップスターになりました。
2023年にはYG傘下のTHEBLACKLABELに移籍し、ミュージカル『レット・ミー・フライ』に挑戦し、ドラマ『本当にお疲れ様でした』でIUとの共演が発表されるなど活躍の場を広げています。
高身長で爽やかなルックスから健康そうなイメージがあるパクボゴムですが、幼いころ病弱だったというのは本当でしょうか?
現在の病気の状態は?
現在は健康になりとくに病気の症状などは無いそうですが、実は新生児の頃から病弱だったそうです。
どのような病気だったのかは本人が公表していないのでわかりませんが、体が弱く病気がちな幼少期を過ごしたことがわかっています。
2018年にはソン・ヘギョとともに主演を務めたドラマ『ボーイフレンド』の撮影中、腸炎にかかり入院したことがありましたが、治療を経て無事に撮影を再開していました。
その後もとくに病気で活動を中断するといったことはないので、成長するにつれて体が強くなり、健康な日々を過ごしているのでは?と想像できます。
パクボゴムについて検索すると「病気」というワードがあがってくるので気になるかたもいるかもしれません。
ただ、幼少期に病弱だったものの、現在はそのような心配はなさそうです。
キリスト教なのは親の影響
芸能人同士で、「同じ教会に通っていた」という会話が交わされることがあるように、韓国では人口の約3分の1がキリスト教を信仰しています。
韓国ドラマで教会のシーンが登場することもよくありますよね。
ファンの間では敬虔なキリスト教徒であることが知られているパクボゴムですが、これはご両親の影響のようです。
ご両親がキリスト教徒になったのは、病弱だった息子のことを心配し、教会に通うようになったことがきっかけでした。
ボゴム(宝剣)という名前も、教会の牧師に名付けてもらったのだそうです。
パクボゴムは、ピアノの弾き語りの動画をネットにあげたのをきっかけに芸能事務所にスカウトされたのですが、ピアノを覚えたのはピアノ教室ではなく教会のオルガンでした。
父親とともに教会の牧師を「人生の師」とも語っています。
今は完治している?兵役は?
パクボゴムは海軍軍楽儀仗大隊の文化広報兵に志願し試験に合格、2020年8月に入隊し、2022年2月に除隊しています。
兵役期間中は文化広報兵ということで、軍が開催するコンサートなどで広報活動を行なっていました。
兵役検査で服務に支障をきたすと診断された場合は、現役兵ではなく補充役や社会服務養親として服務することになるので、とくに健康上の問題はなかったのでしょう。
2022年には「模範リーダー兵士の軍服務の成功事例」に関する教育で一日教官を務めるなど、模範的で優秀な兵士だったようです。
新型コロナウイルス感染拡大の防止策として、除隊前に休暇を消化したあとは部隊に復帰せずそのまま除隊することが認められていたため、通常20ヶ月の服務期間を、休暇を利用するなどして2ヶ月早く18ヶ月で終了しています。
パクボゴムのお母さんの亡くなった原因は病気?
パクボゴムのお母さんは、パクボゴムがまだ小学生の頃になくなっています。
どのような理由でなくなったのかは明かされていないのでわかりませんが、若くして亡くなった母親への気持ちを本人が語ったことがありました。
それは2016年3月に放送された『花より青春 アフリカ編』に、『恋のスケッチ〜応答せよ1988〜』で共演したリュ・ジュンヨル、コ・ギョンピョ、アン・ジェホンとともに出演した時のことです。
原因が病気だったのか、事故だったのかなどはわかりませんが、まだ亡くなる年齢には早かったのでは?と思われます。
母親について話すうちに、溢れてくる涙を抑えられなくなってしまったパクボゴムの姿からも、幼いころに大切な母親を亡くした辛さが感じられました。
お母さんが亡くなったのはパ久ボゴムが10歳の時
お母さんが亡くなったのは、パクボゴムがまだ10歳のころだそうです。
2016年3月11日に放送された『花より青春 アフリカ編』では、『恋のスケッチ〜応答せよ1988〜』のオーディションの映像が公開されたのですが、そのなかでボゴムは出演者と一緒に当時のエピソードについて語っています。
ボゴムは1回目のオーディションで制作陣に自己紹介をして、家族について話し「僕が小学校4年生の時にお母さんが亡くなった」と打ち明けながら涙ぐみます。
またこの日以前の『花より青春』の放送でも、ボゴムが家族写真について語りながら涙を流したこともありました。
10歳上の姉と、9歳上の兄がいるボゴムは3兄弟の末っ子で、歳の離れた姉と兄にとても可愛がられて育ったそうですが、幼いころを思い出し涙する姿に母親を慕う気持ちが感じられました。
連帯保証人になったのはお父さんの借金
パクボゴムは、2014年に父親の借金の連帯保証人として自己破産を申請しています。
これはお父さんの事業がうまくいかなくなったことで、15歳のときに当時で約3億ウォン(日本円で約3,000万円)もの借金を抱え、ボゴムを連帯保証人にしたことがからです。
借金はしたものの事業が持ち直すことはなく、その6年後には借金が8億ウォンにもなっていたそうで、貸金業者から返済を求められたことで、ボゴムははじめて自分が父親の借金の連帯保証人になっていることを知ったのだそうです。
突然高額の借金返済を求められ、2014年には貸金業者に対して訴訟を起こしますが、裁判所からは「和解勧告」、つまり借金の返済をするよう判決がおりたため、まだ俳優として名前を知られるようになったばかりだったボゴムは自己破産を申請するしかありませんでした。
キムユジョンが病気になった?パクボゴムと共演
キムユジョンは、子役出身の俳優で、2008年には『イルジメ』でSBS演技大賞子役賞、2010年の『トンイ』ではMBC演技大賞子役賞を受賞するなど、時代劇のヒロインの子役時代を演じて有名になりました。
2012年に大ヒットしたドラマ『太陽を抱く月』でもヒロインの子役時代を演じ「国民の妹」とも呼ばれています。
パクボゴムとは2016年に放送された『雲が描いた月明かり』で共演し、最高視聴率25.3%を記録する大ヒットとなりました。
そんなキムユジョンが病気のために芸能活動を中断したのは、2018年に甲状腺機能低下症の診断を受けたことがきっかけです。
血液中の甲状腺ホルモンが低下し、むくみや肌の乾燥、食欲不振、慢性疲労、気力の低下など様々な症状が現れる病気だそうです。
ドラマ撮影中だったが中断した
病気になった時は、ユンギュンサンと共演したドラマ『とにかく熱く掃除せよ〜恋した彼は潔癖王子!?』の撮影中でした。
主演ドラマの撮影中ということで病状が心配されましたが、キムユジョンの健康を最優先するとして撮影が中断され、治療に専念しました。
「深い愛情と情熱を持って熱心に準備してきた作品であるだけに、元気な姿で戻って再び撮影に臨む予定。ドラマを待ってくれた多くの方々に深く謝罪する。」と発表され、一時芸能活動を中断しています。
気になるキムユジョンの病気の状態
病気のためドラマの撮影を中断し治療に専念していたキムユジョンですが、6ヶ月後には俳優業に復帰しています。
その後は芸能活動を中断するといったことはないので、健康に留意しながら活動を続けているのでしょう。
2020年には『コンビニのセッピョル』、2021年には『ホンチョンギ』、2023年には『マイデーモン』とドラマで主演を務めているので、現在は病気の状態が落ち着いており、健康状態に問題がないのではと思われます。
パクボゴムとキムユジョン、今も付き合っている?
パクボゴムとキムユジョンには『雲が描いた月明かり』での共演後、熱愛の噂があります。
ドラマでKBSベストカップル賞を受賞しただけでなく、記者会見やビハインドでの雰囲気が「本当に付き合ってるのでは?」と思うほど親密で、ドラマのイベントに出席した際には二人がお揃いの指輪をしていたこともありました。
除隊後の2022年に放送された『青春MT』で共演した際には、ほかのチームのメンバーと仲良くしているキムユジョンにボゴムがやきもちをやく様子が見られるなど、二人は今も付き合っているのでは?と思われる場面もありました。
パクボゴムの病気とキムユジョンの関係
パクボゴムの名前を検索すると「病気」というワードが上がってきますし、キムユジョンを検索しても病気についての話題が上がってきます。
このことから、パクボゴムの病気とキムユジョンには何か関係があるのではと思われるようですが、これには全く関係がありません。
二人が病気だった時期は全く異なりますし、現在は、パクボゴム、キムユジョンともに健康で、お互い精力的に芸能活動を続けています。
今後も健康で活動を続けて、再共演して欲しいですね。
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